試練だ~
試合/(「為合い」の意)武術や競技などで勝負を争うこと。(広辞苑)
試合とは試し合うと書きます。
日頃積んできた事を競い合う。
4月に入って毎週練習試合をしています。
ところがいっこうに納得のいく試合ができない。
それは子供達も一緒だと思う。
なぜ…
今は一人一人が完全に混乱している。
そんな気がする。
ボールコントロール中心のトレーニングから少しづつ個人
戦術的な練習を加え、今はまさにそれを試合中に求めている。
中学生になりピッチが広くなり、自分よりはるかにフィジカルが
上の相手と試合をする中ではボールを奪う事がより難しくなった。
ジュニアの時のようにただがむしゃらに追い回すだけではミスも
少なく奪えない。
当然ボールがなければ彼らの良さはでない。
今はチームの力が本当に発揮できずにいる。
そんな訳でいかに奪い返すのか?
そんな所をクローズアップしながら試合に挑んでいるわけだけど
その奪うがうまくやれない状態にストレスがたまっている。
新しく取り組んでいる事だから失敗が多いのは当たり前。
最初は上手くいかないという事を受け入れ我慢しなければならない。
これは子供だけでなく指導者たる私も同じ。
失敗が続いてもみんながその意識をもって続けることができれば
必ず上達する。
しかし、失敗を繰り返すうちにその状況に我慢ができなくなる。
これはサッカーだけでなく日頃の環境と習慣によるところが多い
と思う。
そうするとチームとしてはもろくも崩れ去る(--;
サッカーに関係ない話だが、今は物が溢れている。
昔は何かを手に入れたいと思っても簡単ではなかった。
品物であれば欲しいと思ってもお金が貯まるまで我慢するしかなかった。
今はどうだろう。
高価なものでもローンを組めばすぐに手に入る。
質が悪いのを承知すれば似たようなものはゴロゴロある。
人はそれを便利になった豊かになったと言うけど単純に喜んでもいられ
ないのでは?
人として自然に身についていた事が今はそういう環境ではない。
我慢する。
耐える。
粘り強く。
昔はこれらが日本人の代名詞のようなものではなかっただろうか。
こういうものがなければ物は手に入らなかった。
我慢ができない奴は盗む。
それは当然罰せられる。
自分探しなんて言葉が流行ったけど、自分なんてそこら辺を探して見つける
ものじゃない。
自分はそこにいる。
今は自分を高めるのではなく、自分にあったものを探す事ばかりに目がいく。
ある程度探しても見つからなければ諦めてハイ終わり。
もしくは自分が手に入れたかったものとは似ても似つかないものを代用にし
て仕方ないと納得する。
それが今の世の中。
我慢などしなくても代替はゴロゴロ。
手に入れる方法だって様々。
昔だったら大人になるまで我慢しろ。
一言で済んでいたものが今は通用しない。
環境が変わっても成熟した大人になるために必要なものは変わっていない。
そこを習慣にできたものだけが成功する。
大それた話だがサッカーを通じてそれを伝えられたらと思う。
本当にそんなことは可能なのだろうか。
試練だ~
試練/信仰・決心・実力の程度をこころみためすこと。また、そのための苦難。(広辞苑)
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2010.04.20 | Comments(0) | Trackback(0) | 独り言